安養堂の由来
以下は余分な話ですが名前などについて聞かれることが多々ありますので書き添えます。
安養堂は京都開業時の協力者で心から尊敬している叔父で、
医師の栗山先生(門真市在住)によって名付けられました。
元々、私が安養寺という寺院の出身であり、安養とは、一般的な意味として
安心して養生のできる場所の意味からも適切であると判断されたのであろう。
(仏教での安養は煩悩のけがれを離れた清らかな世界をいう。)
金城町安養寺の開基は智円で慶安3年(1650年)とされるが、
その後、安養寺慶念(大分県臼杵市)の朝鮮日々記の研究本で
「朝鮮日々記を読む」の研究者の一人、本多正道先生が
「安養寺は慶念と関係があるのではないか」、とのお話を伺い、
寺の由来などについて興味をもちました。
そして、安養寺縁起を探し読んだ結果、その古書には、慶安3年より以前の
慶長3年が正説であると記載されていました。
また現在地への創建は慶安3年であるが、地区民の言い伝えにより、
それより、もっと以前に、東方寄りに草庵があったとされる説があり、
礎石など実在することもわかりました。
さらに草庵は、安養寺慶念(安藤姓)が豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に、
医僧として慶長2年6月24日より8ヶ月間随行して翌年帰国した年と
不思議に一致していることが考察できた。
ゆえに独断ではあるが慶長3年(1598年)を安養寺の起源としたい。
但し、法蔵館出版の「朝鮮日々記を読む」の239ページには安養寺は慶念ゆかりの
寺として紹介されてはいるものの、慶念本人であるとの消息は定まってはいない。
考察として、安養寺の北に慶念の開基とされる大坊の浄光寺、
南に慶念の兄弟の開基とされる大坊の浄泉寺があるところをみると、
慶長年間に石見地区一円で命がけの布教活動をした慶念が活動の拠点として
築いた草庵であったのだろうか?
院名 | 安養堂鍼灸院 |
住所 | 〒697-0024 島根県浜田市黒川町3746-5 |
受付時間 | 【月・火・水・金】 午前 8:30~11:30 午後 14:30~18:30 【木曜・土曜】 午前 8:30~11:30 |
定休日 | 日曜・祝日 原則として休診ですが祝日は午前中のみ治療する場合が多いです。 |
電話番号 | 0855-22-7324 |
駐車場 | あり |